昔、「認識と意識の違いを語る」というタイトルで
アメブロに記事を上げました。
僕の指導の中でもかなり重要な部分を占めるこの違い、
現在の言葉・感覚でリメイクしたいと思います。
“あえて”意識的に取り組まない
現状のテニス界、
それだけでなくスポーツ界において、
常識中の常識である
「意識して行う」という考え方。
僕のレッスンでは
意識して取り組むということを
“あえて”しません。
なぜなら、
「意識するとぎこちなくなる」
からです。
試合中の
調子が良いときのプレーって
なにか意識していますか??
「クロスに打とう」
とか
「あ、浮いた!」
などと決めているだけです。
このような調子のいい状況で
「手首の角度を90度に…!」
なんて小難しいことは意識していないはずです。
簡単な実験例
簡単な実験例として、
意識して「呼吸」をしてみてください。
100%の方がぎこちない呼吸になったと思います。
これと同じことです。
調子が良いときは無意識で出来ることを
練習のときに意識的に行ってやりづらくする…
すごく矛盾してると思いませんか?
なので僕は意識して練習することをしません。
意識≠認識
じゃあ代わりにどうするのかというと
「認識する」んです。
例えばサーブのときに肘を上げることが課題の人がいたとすると
意識する場合は
「肘を上げよう」とします。
認識する場合は
やってみてから「肘が上がったかどうか」を確認します。
→自分でチェックできない場合は第三者に聞いてみてください。
そうすれば、「あ、今のは肘が上がってない状態か!」と認識することが出来ます。
これを繰り返していくと、良い状態を自認することができるようになります。
意識してできること
ちなみに自分がすでに出来る動き、
つまり身に付けている動きは
意識して行うことが出来ます。
なのでほとんどの指導者が、意識して取り組まそうとするんです。
なぜなら、「自分は出来る」から…
出来ない人にいくら意識的に取り組ませても
ぎこちなさが加わるだけです。
それよりも自分が今どうなっているかを
認識する癖を付けるほうが改善しやすくなります。
ここまでお読みいただきありがとうございます。